同人と著作権。もしくは、「何故同人が許容されるべきであるのか」

まぁ、そんな事を今回のパブコメの件を通して、同時に延々と考え続けていました。
で、いろいろまだ考えている途中ではあるのだけれども、整理もかねて。

文化というものを山に例えてみる

高い山というものは、裾野が広くなければいけない。そうしないと、安定せずに、高い山になることができない。
この山を文化に例えよう。山の頂上は、とても面積が狭い。この頂上付近に居る人間が、いわゆる「創作者」と呼ばれる人間だ。

でも、創作者は実際にはそれらが単体で存在しているわけではない。
頂上付近の創作者を支えているのは何か、というと、もう少し下がっていって、山の中腹あたりだ。この辺も、目は出ないなりに一次創作を行う人間であろう。では、その下の裾野のあたりは何か、という事になる。これらが二次創作者だ。同人とか、まぁニコニコ動画とかでMADを作ったりとかしたり、あと音楽でいえばコピーバンドとかやっている人たちだったり、DTM耳コピとかしている人たちになる。

で、中腹以上の人間は実際にはその裾野にいる人間から出てくるのではないかと思っている。今の漫画業界なんかまさにそういう構造してて、同人から誘われて、マニア系とか四コマ系とかの雑誌に描くようになり、さらにその中からメジャーな作家が出没して、という事をやっている。もちろん、一部の天才たちはそんなことをしないでも、いきなりメジャーでデビューしちゃったりするわけだが、そんな天才だけを頼ろうとしても、実際には供給が全然足りてないのが実情だろう。

#ジャンプが今低迷してるのも、ある意味でジャンプというのはそういう「天才」を自力で発掘し続けてきた雑誌だからなのかもしれないと思うことがある

じゃ、その裾野をいきなりとっぱらっちゃったら

どうなるんだろう?
なんとなく想像は付くような気がしないでもない。結局、天才と秀才以外は地道に「自分ができること」からやらないと、創作活動ってのはできないんじゃないだろうか。で、まずそういう意味で自分ができる創作活動っていうのは、自分の好きな作品の二次創作なのではないだろうか、なにしろ、創作活動は血のにじむような、それこそ血と汗の結晶なのだけれど、自分が好きな作品の二次創作だと、その苦労こそがまず喜びとして容易に転化できてしまう、というようなことがあるからじゃないかなぁと思えるからだ。

音楽が売れない、というのももしかしたらそういう事なのかなぁ。

時々言われる事に、「音楽が売れない」という事があって、もしかしたらそれもなんつーかコピーバンドとかDTMとかを一時期排斥しちゃったことがあって、裾野がとっぱらわれた結果なんじゃないか!?とか思いついたことがあったのだが、まだ全然検証していない。でも実際には売れ行きが低迷してるのはCDだけで、著作権料は毎年増加してるんですね。