パブコメ提出

「知的財産推進計画2007」の見直しに関する意見募集について

以下のような意見を提出しました。

全体として

「文化」とは、著作者のみが作るものではなく、著作者とユーザーの間に作られるものである。その文化の根幹に関わる著作権法や関連法規の改正にあたって、今まではあまりに著作権者、もしくは関連業者の視点のみが取り上げられ、ユーザーの視点が省みられることがなかった。政府における「消費者省(庁)」構想も鑑み、見直しにあたってはユーザーの視点をより多く取り入れることで、現実に即したものとするべきである。

63ページ 著作権法における非親告罪化問題について

全体として、親告罪の見直しについて慎重であるべきである。範囲の見直しについては慎重に検討されることを望む。基本的に、見直しを行うことには反対である。

なお、その上で、今回もし見直すべきであると判断された場合に備えての意見を述べる。

仮に非親告罪化するとした場合の範囲について、依拠性の判断が相当に困難であるため、機械的複写による複製権侵害、いわゆる「デッドコピー」のみを非親告罪化するべきである。通常権利者に重大な経済的被害を及ぼす海賊版機械的複製、いわゆる「デッドコピー」というべきものであるため、海賊版対策はこれで必要十分である。非機械的複写や二次的著作による侵害を非親告罪とした場合、依拠性が誤判断される恐れから、表現行為の萎縮を生じ文化芸術の衰退を生む。また、批評時の引用についても萎縮を生じ、基本的人権たる出版言論表現の自由の空文化を生じかねない。

いずれにしても、非親告罪の見直しは今回は見送り、さらなる検討を行うべきであると考える。

90ページ ダウンロード違法化について
以前も文化庁私的録音録画小委員会におけるパブリックコメントで、ユーザーを中心とした極めて多くの反対意見が届いているにもかかわらず、それを黙殺される形で推進することは道義的に許されることではない。また、昨今の警察組織の不正・冤罪・法の恣意的運用が目立つなかで、法律としてさらなる恣意的運用を可能とする法制度を作るのは極めて問題が大きいと考える。綱紀引き締めを行うべきは現状、民間ではなく政府である。

前回私的録音録画小委員会における、ダウンロード違法化に対する反対意見も、単に反対のための反対をしているのではなく、きちんと弊害について、また法整備における実効性の疑念についてなど、論点を整理して意見が提示されていた。それについてなんら説明・検討されることなく、私的録音録画小委員会においては「ダウンロード違法化をする」という、いわば「規定路線」をそのまま突き進む形となり、まったく不合理極まりない。これでは、パブリックコメントの意味がまったくない。ユーザーの文化庁に対する不信感を煽っただけ、という結果におわった。

これらを踏まえた上で、少なくとも、反対意見の多さを受け止めた上で、まずは一度白紙に戻し、改めて必要性を含めて議論を行いなおすべき。その際には、必ず、著作権者のみならず実ユーザーの意見を広く問うべきである。そもそも実効性がないか、もしくは(著作権侵害非親告罪化とあわせ)警察組織によって恣意的に運用されるだけの法になりさがるのであるから、ダウンロード違法化が10年や20年遅くなったところで、弊害にくらべればいかほどのことでもない。もう数年程度の検討が行われる事は、視野にいれて考えられるべきであろう。

91ページ 私的録音録画補償金問題について

DRMについて大幅な見直しを行い、私的録音録画補償金を支払っているユーザーについては複数世代のコピーが簡易に行えるような仕組みを構築するのであれば、残すことも異存は無い。そうでなければ、撤廃するべきである。

94ページ 保護期間延長問題について

保護期間を延長することが国益に沿うことか、また、そもそも、保護期間を延長することが著作権法の理念であるところの「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」という事に適っているのかをもう一度検討しなおすべき。少なくとも、フェアユース規定などが未整備のままで延長を行うのは、文化の発展には極めて問題が大きい。

105〜106ページ コピーワンス問題について

そもそもコピーワンス、もしくはダビング10などのDRMは、文化を破壊するものである。DRMなどのコピー防止システムの最大の欠点は、複数世代のコピーができないという事につきる。たとえば、HDDレコーダーで録画したものは、DVD-Rなどへコピーすることはできるが、そのDVDから別のDVDへコピーする事はできない。もしくは、HDDへ戻すことができない。逆にいえば、その録画したデータは、「DVD」というメディアが生きている間しか再生できない、という事になる。

これが書籍などであれば、今までは保存できる期間が非常に長かったから問題がなかった。しかし、デジタルデータというものは非常に劣化しやすい。DVD-Rは場合によっては数年で劣化する。少なくとも、数十年経過すれば再生できないDVDは大量に存在することになるだろう。

通常のデータであれば、それに対して通常は複数世代のバックアップを取って対処する。DVDからDVDへコピーする、というのがそれにあたる。しかし、ダビング10ではHDDから複数枚のDVDへのコピーができる、というだけであって、DVDからDVDへのコピーはできない。これでは、全てのDVDがほぼ同じ時期に作られるだけであるから、数十年を超えてそのデータを保存することはできない、という事になる。

翻って考えるに、著作権を保持する企業というのは、最終的にはデータを大事にする保証がない。倒産したり、そのデータの著作権を売却したり、そもそもそのデータを再販することをあきらめ、元になるデータを破棄してしまったり、という事が容易に起きている。つい最近まで、NHKとかですらそのような状況が続いていた。
たった30年前の番組を復刻して販売しようとするために、消費者が私的使用のための複製によって保存していたデータを借用して復刻する、という事もあった。

最近でこそ、NHKは文化の継承という事を行う事は考え始め、データの保存を行っているが、普通の著作権を保持する企業というのは一般的に文化を大事にする事ではなく、企業であるかぎりは利益を最大化することを目的とする。したがって、元の番組のデータが残っている保証がない。

そうすると、そういう文化を継承できる可能性というのは、私的使用のための複製によって保存された個人のデータにかかっていると言える。

コピーワンスダビング10に関わらず、全てのDRMに反対する。もしくは、著作権を保持する企業によって、文化の継承を行うことが義務付けられるべきである。たとえば、国会図書館へ全ての番組を収蔵することを義務付けるなどの措置が必要であり、それらが無い限りは文化の継承保存の観点から、一般のユーザーが私的保存のための複製を、複数世代にわたって行おうとすることを妨害するべきではない。それは文化に対する真摯な態度ではない。