『MIAU設立記者発表会3 (発起人 白田秀彰准教授による講演前半)』

え、あの、皆さん、こんにちは。法政大学社会学部准教授の、白田です。まぁ、法政大学の先生というよりも、ネットワーク上ではむしろロージナ茶会の総統ということで知られていると自分では意識(認識?)しているわけです。

であのー、今日の僕の演題っていうのはね、「ネットワーク時代の政治参加について」、ってことでちょっと硬めなわけですけど、一言で言ってしまうとですね、「みんなちょっと真面目に取り組もうよ」って話なんですよ。

今回の、ああ、MIAUの設立に関して僕が一番懸念していたのは、どうもですね、ネットワークに居る一般の人たちの意見をまったく無視した形で、こう、政治的な仮定(過程?)が進んでいるって事が僕が一番嫌だったことなんです。

著作権制度の細かいですね調整であるとかあとやっぱ業界の意向であるとかそれなりの都合があるとかっていうのはよくわかっているんですけれども、どうも進め方があまりにも強引なんで。

えー、一応パブリックコメントはやってますよ、と言いながらも業界の組織票が出てきてそちらの方が声がでかいとかですね、で、まぁ、僕は演説調にしゃべるのが苦手なんでぶっちゃけちゃいますと、いったいこれの何処が民主主義なんだよ、という事なんですね。だからもう少しネットワーカーたちが声をあげてもいいんじゃないか、っていうのが、まぁ、今回僕が参加して、何とかですね、ムーブメントを起こそうと思っている、一番のポイントになります。えー、まぁ、みなさん、特にネットでこれを見ているみなさんに訴えたいんですけれども、ま、「みゃっうみゃうに盛り上げて」いければいいんじゃないかな、っていう風に思っております。

インターネットには古くからですね「いいだしっぺの法則」というのがあるわけなんです。私去年ですね、「インターネットの法と慣習」という賛否両論ある本を出しまして、その中でずっとこー、ネットワーク利用者がですね、政治的に関与するような組織が必要だとかですね、名前を持って、責任主体としてですね活動する人々が必要だ、という事を、まぁ、本の中で訴えていたわけなんですよ。

で、何か起きるかなー、と思って一年ほど経ったわけですですけれども、まぁ、自分がやれ、ということになりまして、まぁまさに「いいだしっぺの法則」が適用されてしまったわけです。

私の著書でも指摘したところなんですけれども、ネットワークには「名前や顔を出すことを極端に恐れる雰囲気がある」……ありますよね?でまぁ、ネットワーク上でもちろん個人が特定されますと、大変困ったことになる、傾向がある、という事は現実として理解してはいるんですけれども、その匿名性に固執する雰囲気が、ネットワーク利用者がネット上で仲間を募り、責任ある主体として社会に声を上げていくような活動を作ることをですね、困難にしているのではないか、という事を一番懸念しています。

で、そういう懸念がありましたので、私は93……95、6年くらいからですかね。名前も顔も出してネットワーク上で活動するという事を続けてきて、現在にいたるまでこれといってトラブルもなく生きてきたわけです。まぁあの、ですからまぁ、大丈夫ですよ、という事を言いたいんですね。

ですからMIAUに、発起人として参加することで、さらに進んでですね、ネットワークに名前をさらして顔だして、しかもこういう政治的な活動にも関与したとしてもですね、ま、普通に生きていけるんだよ、ということを身をもって示したいと思いまして、発起人として参加しました。そうすれば、まぁ、続いて、名前や顔を出しながらですね、活動をする人が、一人でも増えていくのではないか、という風に思うわけです。

まぁよくよく考えて見ますと民主主義の前提というのはそういうものだったはずで、人々が安心して政治参加できないような環境でですね、民主主義が機能するわけがないわけですね。ですから、まぁ自分からはじめて、僕に続く人が一人でも出てこないかな、と。名前や顔を出したって大丈夫ですよ、と、自分はこう思うんだっていう事をネット上で表明しても大丈夫ですよ、というような事をやりたい、と思っています。

見かけから誤解されがちなんですけれども、私は民主主義の信奉者ですんで、そこんとこは誤解ないようにお願いします。

であの、もちろんあの、MIAUに参加したいと思ってくださっているみなさんが、やはり匿名でありたいよ、という事であればまったくかまいません。強制する必要はまったくありません。

むしろ、私たちはそうした「ななしさん」たちの意見を、内容に関して、責任を我々が負担し、リアル社会に向けて伝えるですね、名前と顔を持った代弁者になりたいな、と思っているわけです。代表になるなんておこがましいことはちっとも思ってません。皆さんがネットの片隅で言っているような事をですね、ま、カチっとした形にまとめて、で、我々の名前で出しますよ、という事です。

で、あの、仮にですね、私が名前と顔を出したことで、ネット上の皆さんからですね、徹底的に叩かれる、という可能性もあると思うんですよ。基本的に気に入らないとかですね。ま、人間誰だって気に入らない人間ってのはいます。

で、それでね。もし僕が再起不能になるのであれば、それは自分が信じて、自分の存在を賭けた、ネットワーク上の善意であるとかですね、民主主義の可能性というものが幻想であったということを示しているわけですから、それはそれとして覚悟しております。

そうであるならばですね、もっと、ま、民主主義なんて言うような事を言わずにですね、もっと実効性のある他のアプローチを考えなきゃいけない、という事を理解できた、という点ではですね、貴重な教訓になるんじゃないかと思っています。

だからこの活動は僕にとってみればですね、皆さんに参加してよ、と呼びかける、多分最初で最後になると思います。だからこれがコケたら僕は他のアプローチ考えなきゃいけないんじゃないかなというふうに覚悟しているわけです。

ただ、私はですね、ネットワークに集うみなさん、それから私たちが、民主主義をですね、新しい形で先に進める事ができるという風に信じています。これは、法律学やって、社会学やって、歴史を学んできて、その上でそう信じているからです。だいたい若い人間が信じられないようになったらこの世は終わりですよね。次の世代は彼らが作っていくわけですから。

現実世界の偉い人たちが言うように、ネットが、危険で、犯罪の巣窟で、悪意に満ちた空間であるならばですね。おそらくこのMIAUの活動は、直ちに敗北すると思います。しかしそれはそうなったとしても、擁護すべきでないものを支えようとした愚かさの代償である、という風に、覚悟しています。まぁこれはもう少なくとも私の覚悟であるわけで、他の方たちがそこまで覚悟されているかどうかはちょっとわかりません。

「もし君たちが、自分自身の自由のために戦うこともできないというのなら……君たちはその自由に値しない。」……というのは、私じゃないんです。スタンフォード大学の、ローレンス・レッシグ教授がですね、公演でよく呼びかけている演説の一説です。であの、ローレンス・レッシグ先生については皆さんよくご存知かと思いますが、彼ほどの能力があって、彼ほどの知名度があって、そういう人が我々に対してですね、ワールドツアーまでやって訴えて、我々を鼓舞し、我々を動かそうとしました。その結果レッシグ先生、今ちょっと身を引いた状態になってるんですね。今著作権問題から一歩引いて、ってな事をおっしゃってます。

さらに、レッシグ先生は、Electronic Frontier Foundation、EFFっていうアメリカの非常に強力な団体があるんですけども、そこでも関与していながらですね、恐らくレッシグ先生の考え方であるとか、レッシグ先生の理想、っていうものがそれほど一般には知られず、ムーブメントも起こせてません。ですから、私はですね、このMIAUで、何か変化が起きるか、という事に関しては、決して楽観はしていないわけです。

ただですね、私はこの組織で……ここ大事なポイントです。今の若い人たちに、続く世代に、ああ、こういう事を大の大人がやっても大丈夫なんだな、という姿を見せたいんです。そして、彼らがですね、私の屍の上を乗り越えていけばですね、それでいいんじゃないかと思うんです。

あのー、すでにこのMIAUに関しまして「いまいち気に入らない」みたいな方がいるってことはわかっているんですけれども、あの、繰り返しますけれども、似たような組織いっぱい作ったほうがいいと思うんですね。そうすればどれかの組織がきっとメインストリームになって、ネットワーク利用者の代弁者としてですね、力を持っていくんじゃないかと思っています。

それからあのー、ニコニコ動画の話をしたいんですけれども、あのまぁひろゆきさんの話なんですけれども。ニコニコ動画とかニコンドライフ構想に関係して、ひろゆきさんが面白い事を言ってたんですね。

「圧力には、微笑みで」

線がはっきりわかっていてもだれもニコニコしていないので、線はおぼろげにし見えないけど皆がニコニコしているのとどっちがいいのか、こんなことを彼言いまして、ああ、いいな、と。これまぁ私、ニコニコ的アプローチと言っているんですけれども。つまり、マジでこう対立関係に入っていくんじゃなくて、にっこり笑いながらさらりとこうかわしていくようなアプローチ、というやり方です。

ただですね、とても悲しい現実なのですが、私たちを縛ろうとする権力や法や制度っていうのは、機械なんですね。システムです。人格もたないんです。ニコニコが効かないんだと私思っています。あいまいにしていると、私たちが微笑んでいるだけだと、どんどん私たちの側に入ってきて、私たちの自由を削り取っていくのが、権力や法や制度ではないかと思っています。もちろんそれが悪いものではなくて、それに対して私たちは、良し悪しを示しながら、自分の立場を示さなきゃいけないんじゃないかと思うんですね。それが今出来ていない。

ここに集っている皆様には、まぁあの、その辺の事情はわかっていただけるじゃないかと思うんです。ニッコリ笑って、ほやっとこうごまかしていると、どんどんどんどん居心地悪くなっていくっていう感じは、古参のネットワーカーであれば良くわかっているんだと思うんですよ。

だからこー、MIAUのアプローチっていうのは、おそらく、泥臭く見えるし、なんだかですね、マジで、カッコわるいと見る人もいるかと思います。でもね、これは私たちがニコニコし続けるために、誰かがやらなきゃいけない汚れ仕事なんじゃないかと思います。めんどくさいですよはっきりいって、こういうことやるのは。